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寅さんが日本語教材? 60 年代生まれの驚きの日本語学習法

中国では1980年代、90年代生まれを80後(后)、90後と呼んだりします。この世代の人は日本語をVCDのアニメなどで学んでいます。中国で日本のアニメが初めて公式テレビ放映されたのは『聖闘士星矢』だと言われています。

その後に放映された「一休さん」は、日本では地上波で長いあいだ再放送されていない関係で、中国のほうが日本より幅広い世代で知られていたりして驚きます。

中国で放映された初期の日本アニメは、吹き替えではなく中国語字幕でした。そのため、日本語がそのまま流れていたようです。一休さんの有名なオープニング曲、「すき すき すき すき~」の「とんちんかんちん一休さん」もそのまま日本語で放送されていました。

インターネット世代である2000年代以降の生まれは、インターネットでアニメやゲームに慣れ親しんだという人が多くなります。

柴又駅前にあるフーテンの寅像

柴又駅前にあるフーテンの寅像

では、もっと前の60年代、70年代生まれの人は、どうやって日本語を学んだのでしょうか。まだ日中の往来が少ない時代は、寅さんだったり山口百恵さんの映画やドラマで学んだという話を聞きます。

80年代に日本語を瀋陽の大学で学んだ馬さん(男性)は、担当の日本人教師が映画『男はつらいよ』を教材に使っていたそうです。主人公、車寅次郎(寅さん)は、東京下町の早口でまくしたてる「べらんめえ調」で、日本人が聞いても聞き取れない人もいる難解な言葉です。

寅さんが日本語教材に向いているのか疑問に感じますが、映画を通して日本社会や庶民の暮らしぶりを知ることができたと馬さんは話します。

山口百恵さんは中国で1番有名な日本人と長らく言われていました。現在の50代から上の世代だとかなりの人が知っているようです。それくらい中国では有名だったようです。

男はつらいよにも登場する帝釈天参道

男はつらいよにも登場する帝釈天参道

学生時代に寅さんで日本語を学んだ馬さんは、当時、寅さんのセリフは聞き取れなかったそうですが、卒業後、日本に関係する仕事に従事し、現在は独立し日本と関わり続けています。

馬さんは今でも寅さんが大好きで、日本でDVDボックスを買い込んで、繰り返し見ているそうです。今では寅さんのセリフをすべて聞き取れるそうで、出張で訪日すると東京・柴又など寅さん所縁の場所へ寄って楽しんでいます。

それだけに馬さんは、昨年末の寅さん50周年記念で上映された新作「男はつらいよ お帰り 寅さん」を映画館で見たかったと残念がっていました(全49作中1作品も映画館で見ていないので)。

余談ですが、寅さんの監督である山田洋次監督は、大阪生まれで2歳から現在の遼寧省へ移住し、大連の中学校で終戦を迎えて1947年に大連から日本へ引き上げてきた過去があります(今でも大連駅近くに山田監督が過ごした旧宅が残っています)。

寅さんには、そんな山田監督自身の「故郷への思いが込められている」のだと山田監督が講演会で話していました。

(我妻伊都/5時から作家塾®)

FueruWHA!レポーター/プロフィール

我妻 伊都(わがつま いと)
編集者・フリーライター。SARSが流行しているとき中国へ初出張。2005年から拠点を中国へ移し十数年過ごす。現在は東京拠点に活動。中国では出張者、駐在員、現地採用、留学生、フリーランス、NPO理事などを経験。11年に雑誌編集者、12年に月刊誌でプロライターデビュー。『ニューズウィーク日本版』『日本と中国』『週刊SPA!』『ハーバー・ビジネス・オンライン』等へ執筆。機関紙や専門誌の編集にも携わる。
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